日本で起きた米騒動を一覧表にまとめました。江戸時代から昭和・平成・令和の米騒動を簡単に言うと何が起きたのかをご説明します
【歴代】日本の米騒動・打ちこわしの一覧表
歴史年表 | 時期 | 米騒動の名前 |
2024年(令和6) | 6月~翌年 | 令和の米騒動 |
1993年(平成5) | 9月~翌年6月 | 平成の米騒動 |
1946年(昭和21) | 5月 | 昭和の米騒動 |
1918年(大正7) | 7月~9月 | 1918年米騒動 |
1893年(明治26) | – | 米不足 |
1890年(明治23) | – | 米不足 |
1866年(慶応2) | 5月~6月 | 武州・国分村一揆 |
令和、平成、昭和、江戸時代に発生した米騒動を一覧表にしました。江戸時代は飢饉が起きるたびに、上記以外の打ちこわし事件がありますが、大方、近代に直結する内容は網羅されています
歴史の教科書に出てくるの米騒動が、大正7年の1918年米騒動です。以降、米不足やコメの値段が高騰した際に、米騒動と呼ばれる由来となった事件です
米騒動の一覧表を見ただけでは、実際に、当時、何が起きていたのか。分からないと思いますので、各種資料を参考に、米騒動を簡単に説明します
【令和の米騒動】なぜ?米騒動が起きた?当時の状況
令和の米騒動とは、2024年6月から7月に米が品薄になった事から始まりました。分かりやすく簡単に言うと、インバウンド需要と南海トラフへの警笛からの備蓄が発生、米の不作より心理的な要因が大きく価格が高騰しました
令和の米騒動 | 出来事 |
2025年2月 | 個人転売ヤーが手放す動きをする |
2025年2月 | 備蓄米放出を発表 |
2025年1月 | 米の値段(5kg):4000円を超える |
2025年1月 | 南海トラフ地震の確率:80%に引き上げ |
2024年12月 | 米の値段(5kg):4000円付近 |
2024年9月 | 備蓄米の放出:無 |
2024年8月 | 南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意) |
2024年6月 | 米の値段(5kg):2000円⇒2200円 |
2023年度 | 米収穫量:662万(t)、前年-7.7万(t) |
2023年、米の収穫量は前年より7.7万トン少ない、662万トンでした。1年に700万トンあったら、日本人のお米が足りる状況です。
しかし、年々、コメ離れが進み、1人50kgあれば十分な量(ピークは1962年の約118kg)です。インバウンド需要で外国人の方が、日本のお米をたくさん食べたり、海外で販売をした際のバランスに関連しますが、令和の米騒動の発端は宮城県の大地震(2024年8月8日)です
南海トラフ地震は30年内に70%以上、80%近い確率で起きる(詳細:南海トラフ地震が起きる確率)とされます。いつか来るとずっと囁かれる南海トラフ地震ですが、国が発表した『南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)』は、みんな見たことがない呼びかけで話題となりました
米の備蓄や買いだめが必要では?
南海トラフ地震臨時情報は、え?何それ?もしかして、まぢで?本当に南海トラフ来るの?と衝撃が走りましたよね。焦った方は、米の備蓄、秋まで新米を待ってられないと農家と交渉して、米のサブスクを契約する人が増えました
2024年8月以降に、政府が備蓄米の放出を検討しましたが、放出は無く、その後、業者による大量の米の買い占め、出し渋り、様々な要因がかさなり、6月に5kg:2200円だった米が2025年1月に4000円を超えました
人間心理の崩壊
翌年、2025年1月15日に、南海トラフ地震が起きる確率が80%に引き上げられ、再び、米騒動がニュースで話題となります。加えて物価上昇が追い打ちをかけ、パンがなければケーキを食べればいいじゃない理論が通用しなくなりました。
米がなければパスタ、パンを食べればいいじゃないか!と考えの人も2025年1月から小麦粉の値上げ、パスタなどの麺類は2月に値上がり(詳細:食品値上げ一覧表)しました
政府備蓄米の放出が決定
米の価格が上がり、不満が爆発。結果、2025年3月に災害やコメの不作に使う備蓄米を政府が放出する事がきまりました。米を買い占めている業者が特定できず、無理やり、ストックの米を吐き出させる事が目的でした
その後、政府備蓄米放出後、飲食店や卸に個人から米を買ってほしいという動きがあり、国が予測していた『個人転売ヤー』の存在が徐々に浮き彫りになりました
【平成の米騒動】なぜ?米騒動が起きた?当時の状況(1993年:平成5年)
平成の米騒動とは、1993年(平成5)から1994年の新米の豊作となるまで続いた米不足です。当時の状況を分かりやすく簡単に言うと冷夏によって米が実らず、タイ米が日本にたくさん輸入されました
平成の米騒動 | 出来事 |
1994年(平成6) | 米が豊作となり解決 |
1993年(平成5) | タイ米の輸入 |
1993年(平成5) | 米の収穫量:771万トン |
1992年(平成4) | 米の収穫量:1054万トン |
1991年(平成3) | ピナツボ火山の大噴火 |
1993年の米の収穫量は70%ダウンの771万トン、2年前に起きたピナツボ火山の噴火により冷夏が続き、歴史的な米不作の年となりました
現在は700万トンあれば日本人、全員分の米が足りますが、当時は米が主食のポジション。年間に1000万トン以上が国内で必要でした。簡単に言うと、200万トンほど、お米が足りない事態が冷夏によって発生したことが、平成の米騒動の原因です
平成の米騒動の時は『海外のお米など食えるか』と批判的な意見が多かったですが、タイ米は炒めると旨い事がわかり、タイ米の評価があがりました。
【昭和の米騒動】なぜ?米騒動が起きた?当時の状況(1946年:昭和21年)
昭和の米騒動とは、1946年5月19日に戦後の食糧危機からデモが始まり、米をよこせ!と言う民衆の風呂敷デモが有名です
当時の状況を分かりやすく簡単に言うと、食べ物が無く雑草を食べたり、飯米獲得人民大会(食糧メーデーは25万人の労働者が参加した記録が現在も残っています
昭和の米騒動 | 出来事 |
1946年5月 | デモが起きる |
1945年8月 | 終戦 |
最終的に、マッカーサーの『暴民デモ許さず』の声明により、鎮圧されデモが翌日におさまります
【大正の米騒動】なぜ?米騒動が起きた?当時の状況(1918年:大正7年)
大正の米騒動とは、1918年米騒動として歴史の教科書に掲載されている日本の出来事です。1918年7月23日から始まりました。
当時の状況を分かりやすく簡単に言うと、米の値段が15円(約1500円)から50円(5000円)と2倍以上に値上がりをし、各地への積み荷の禁止、安売りを国民が求めた行動をしました
大正の米騒動 | 出来事 |
1918年8月 | 米の価格:50円(1石) |
1918年7月 | 富山県魚津町の米騒動 |
1918年6月 | 米の価格:20円(1石) |
1918年1月 | 米の価格:15円(1石) |
※大正時代の物価:1円は現在の約1000円です
富山県魚津町の米騒動は港から北海道へ米を持ってゆく船に対して、主婦が激怒。米の積み荷を差し止めたことがきっかけに、全国で同じような米騒動へと発展します
【明治の米騒動】なぜ?米騒動が起きた?当時の状況
明治の米騒動 | 出来事 |
1893年 | 米不足 |
1890年 | 米不足 |
明治の米騒動は、正式にそのように呼ばれていません。明治時代は、1890年(前年に水害が発生)と1893年が米不足となりお米の価格が上昇しました